聖林寺(奈良県桜井市)

 寺伝によりますと、聖林寺は、712年(和銅5年)藤原鎌足の長子定慧が父の菩提を弔うために建立したとされます。多武峰妙楽寺の別院でした。➡多武峰妙楽寺については、当ブログの多武峰談山神社の項を参照ください。

 当寺では、十一面観音立像が特に有名ですが、本尊は本堂に祀られた、丈六(*1)の石像地蔵菩薩坐像、江戸時代の作品です。地蔵菩薩については古道脇にあるかわいらしい立像を想像する方が多いと思いますが、坐像丈六は、珍しいと思います。

<画像の説明>左又は下:聖林寺入口 右又は上:聖林寺より遠景

 十一面観音立像は明治初めに大御林寺より聖林寺に移坐されました。大御林寺は、大神神社の神宮寺のことで、明治初期の神仏分離令により、当寺からは多くの仏像が他寺へ移坐されましたが、当像もそれらの1体と考えられます。当像は、今は本堂裏手の収蔵庫に納められています。

 収納庫は、2021年に耐震工事が施されました。収納庫の工事の間に(コロナ禍の大変な時期、関係者の御苦労はいかばかりだったかと存じます)、当像は、東京国立博物館で特別展が開催されました。耐震後の展示ケースは、ケースに枠組みが無く、ガラスのみが自立しており、枠に視線を遮られる事はありません。又、このガラスケースは、高透明度、低反射のもので、映り込みも少ない高機能なものです。更に、360度(上からは見られませんが、平面的に)左右、背面までも拝観させて戴ける素晴らしい空間が達成されています。

 当像は木心乾漆像、奈良時代後期の作品とされます。当像が、奈良時代中期の天平仏と比較して写実的な人体表現等で見劣りがするという論調を見ることもありますが、当像の優美さと威厳を兼ね備えた造形は、文句なく素晴らしいと思います。

 ところで、木芯乾漆像の時代背景ですが、これについて少し紹介させて戴きます。(*2)
木材の豊富な日本では、平安時代以降は、木彫が主流になりましたが、奈良時代中期、天平仏の場合には、塑像と脱活乾漆像が造像の中心でした。脱活乾漆像は、7世紀末(白鳳時代)に日本で発明されたとされます。木材と粘土の芯の上に、漆を染み込ませた布を何重にも張り合わせていきます。脱活乾漆像の自立体は漆を染み込ませた後乾燥固形化した布です。そのため、漆と布が十分乾燥した後は、木芯と粘土を抜き去っても(脱活しても)元の形を維持できます。製作工程が複雑で短期間で完成させられない大変高価な方法でした。

<画像の説明>画像左又は下:聖林寺十一面観音立像(西陣織で作成したもの)
画像右又は上:東大寺三月堂執金剛神(東京芸大展示会より、模刻像)天平仏は、提示できる画像がありません。参考までに撮影可能だった画像を掲載させて戴きました。

 一方、木心乾漆像は、木彫をベースにした木芯の上から木屑と漆を混ぜた木屎(こくそ)を塗って更に漆で成形したものです。その自立体は木芯で、そのため、木芯を内部に残しました。木芯(*3)の基本になる木彫技術は、奈良時代後半、754年の鑑真の来日の際に同行した仏師がもたらした技法とされます。以降、日本では木彫技術が急速に発達しました。木心乾漆像は脱活乾漆像に比べ、数十年時代が下ることになります。

(*1)丈六坐像。1丈6尺のこと。30㎝*16÷2≈像高243㎝。坐像は、立像の半分と計算します。

(*2)脱活乾漆像については、過去下記にも記載しました。
    東大寺法華堂 不空羂索観音を中心に
    東大寺法華堂 不空羂索観音を中心に | 毘沙門天の世界 (bishamonten.info)
    http://bishamonten.info/posts/post31.html

(*)当十一面観音立像も、頭体は一木で、内繰りを施しているそうです。また、足は別材ですが、枘(ほぞ)で接合されているとの事です。

2023年10月01日