新義真言宗豊山派大本山 護国寺 総持寺

 新義真言宗豊山派は、長谷寺(奈良県桜井市)(*1)を総本山として、護国寺(東京都文京区)、総持寺(東京都足立区、西新井大師)(*2)を大本山と位置付けています。ただ、総本山、大本山という言い方は、明治以降の国家による宗派再編以降の言い方のようです。
 ここで、真言宗、真義真言宗(豊山派、智山派)の歴史と成り立ちを簡単に説明させて戴きます。

画像の説明:左又は下:長谷寺遠景 右又は上:長谷寺本尊十一面観音

 真言宗は、弘法大師空海(774–835)が開いた密教系仏教の一大宗派ですが、平安末〜鎌倉期にかけて内部で教義・学統の違いが生じました。そのなかで、特に、覚鑁(かくばん, 1095–1143)の流れをくむ学派を「新義真言宗」と呼びます。覚鑁は、密教理論と実践を体系化・刷新を行いましたが、宗派内で対立を生じ、紀伊根来(ねごろ)に拠点を移しました。根来寺は新義真言宗の総本山的存在として栄え、僧兵を擁する大勢力となりますが、1585年(天正13)秀吉の紀州征伐によって壊滅しました。




画像の説明:護国寺本堂(重要文化財)

 根来寺滅亡後、新義僧の一部は奈良の長谷寺を拠点としました。江戸幕府の宗教統制(本末制度)下で、長谷寺を本山とする「新義真言宗豊山派」(*3)として組織を確立しました。江戸期には全国に末寺を広げ、地方寺院の布教活動が活発化しました。観音信仰・修法・祈祷的色彩を多く残しており、庶民信仰とも結びついて発展しました。
 一方、根来寺滅亡後、根来寺の学統継承寺として再建した京都東山の智積院は、江戸幕府の保護を受け、学問的中心として、新義真言宗智山派(*3)の本山として発展しました。江戸周辺では、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院等(*4)が有名です。
 江戸期には、真義真言宗豊山派は長谷寺、智山派は智積院という幕府御墨付の「本山」というブランドを駆使して、新参で大人口を擁する江戸を中心に、多くの檀家を獲得していきました。このことが、今でも、高野山を中心とした旧義系(*5)は西日本、新義系は東日本に分布している主な要因です。

画像の説明:左又は下:西新井総持寺本堂
 右又は上:護国寺境内の「音羽富士」(江戸時代の遺跡)

(*1)長谷寺(鎌倉)は、同じ十一面観音菩薩を本尊とする等、信仰の源流としてのつながりはあるものの、宗派上の所属や発展の経路が大きく異なります。
これについては、下記に記載しました。
      長谷寺(奈良県桜井市) | 毘沙門天の世界のホームページ

(*2)総持寺(横浜市鶴見区)は、曹洞宗の大本山です。「総持寺」という名称は、複数の宗派・地域で独立に用いられています。

(*3)「豊山」は長谷寺の山号「豊山(ぶざん)」に由来します。一方、智積院の山号は「五百佛山」です。「智山」は、宗派の名称です。

(*4)成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の過去の取り扱いは下記です。
      成田不動尊(千葉県成田市)*関東三大不動尊の一つとして | 毘沙門天の世界
      川崎大師(川崎市) | 毘沙門天の世界
      高尾山薬王院(東京都八王子) | 毘沙門天の世界

(*5)「旧義」という呼称は新義側の立場から生まれた分類語です。高野山は一貫して「真言宗」もしくは「金剛峯寺派」等と名乗っておられます。

2025年12月01日