補陀落山西方寺

 西方寺は、横浜市港北区新羽町にある真言宗の寺院です。正式には補陀洛山安養院西方寺と号します。「補陀洛山(ふだらくさん)」は、サンスクリット語 Potalaka の音写で、観音菩薩が住む山を意味します。古くから南海上にある観音浄土と考えられてきました。
 寺伝によれば、西方寺は建久年間(1190年代)、醍醐寺三宝院座主を務めた勝賢僧正によって鎌倉に創建されたと伝えられています。その後、明応4年(1495)頃に現在の新羽へ移転しました。勝賢は新義真言宗が成立する以前の人物であることから、西方寺は関東地方に江戸時代以降急速に普及した真言宗智山派・豊山派(新義真言宗)ではなく、古義真言宗の系統に属する寺院と考えられます。

画像の説明:西方寺本堂

 西方寺がこの地へ移転する以前、当地には観音院があり、十一面観音菩薩が祀られていたと伝えられています。現在の山号「補陀洛山」は、その古い観音信仰の名残ではないかと考えています。
 本尊は阿弥陀如来坐像で、「黒本尊」として知られています。通常拝観できませんが、神奈川県指定重要文化財に指定されている平安時代後期の仏像です。当初は「漆黒(しっこく)」の仏像かと思っていましたが、寺伝では、金色に輝く阿弥陀如来像に漁師が経文を書きながら墨を塗ったことから黒本尊となったと伝えられています。阿弥陀如来の脇侍は観音菩薩であり、本尊の阿弥陀如来と、古くからこの地に伝わる観音信仰が自然に調和した寺院であることがうかがえます。
 山門を入ると、正面に東向きの本堂が建ち、右手の小高い場所には鐘楼があります。寺の説明板によれば、本堂は享保6年(1721)、鐘楼は宝永5年(1708)、山門は弘化年間(1844年頃)の建立です。いずれも横浜市指定有形文化財に指定されています。

画像の説明:西方寺本堂と山門

 本堂でまず目を引くのは、見事な茅葺屋根です。厚く葺かれた萱は、美しい曲線を描くように丁寧に刈り込まれ、量感のある大屋根に優雅な表情を与えています。茅葺屋根は雨仕舞いという実用性が第一ですが、それだけではなく、茅葺職人の高い技術と美意識によって、一つの建築美として完成されていることを実感しました。
本堂内部は通常非公開ですが、『近世社寺建築調査報告書』によれば、内陣は間口三間、奥行二間で、床を一段高く設けています。さらに禅宗様の出組斗栱(詰組)が用いられ、天井は折上格天井となっており、寺院として非常に本格的な内陣構成を備えているようです。
 鐘楼は200円の志納で一回撞くことができます。静かな境内に響く鐘の音は、落ち着いた寺院の雰囲気によく調和していました。

画像の説明;西方寺鐘楼と山門(山門脇にトクサを見ることができる)
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 また、山門脇にはトクサ(砥草)が植えられていました。トクサは茎にケイ酸を多く含むため表面がざらついており、昔は木工品や漆器の仕上げ研磨に利用されたことから「砥草」の名があります。何気ない植栽ですが、こうした植物にも日本の伝統技術との関わりが残されていることを知り、興味深く感じました。
 西方寺は「花の寺」として知られていますが、境内には中世から受け継がれてきた観音信仰、古義真言宗の歴史、江戸時代の建築、そして茅葺職人の優れた技術など、多くの見どころがあります。派手さはありませんが、一つ一つを丁寧に見ていくことで、この寺院が長い年月をかけて育まれてきたことを実感できる空間となっています。

2026年08月01日