多武峰談山神社

 多武峰(とうのみね)談山神社は、藤原(中臣)鎌足を祭神とした神社です。中大兄皇子と鎌足が起こした乙巳の変(*1)の謀略を語り合った場所ということで、当社は談山神社と呼ばれています。
 遣唐僧として唐に渡った鎌足の長子定慧(じょうえ)が、帰国後の天武天皇7(678)年、父の墓を当地に造立、父親の舎利を埋葬し、その上に十三重塔を建立しました。以降、当寺は、妙楽寺と名付けられました。
 その後、定慧の弟、不比等が、中臣氏の伝統に基づき、神殿を造立しました。中臣氏は、仏教伝来以前より神祇・祭祀を司どり、仏教信仰にも反対した家柄だった事が、関係していると考えられています。(*2)

 談山神社という神社に、仏塔があるのだから、神仏習合の結果だろうと考える人も多いと思いますが、以上の通り、当寺の場合は、日本に神仏習合の思想が生まれる前から、両方の信仰が共存していました。明治以降、神仏分離が進んで、十三重塔を残したまま、妙楽寺という名前が消えて、談山神社という神社名が残りました。

 現在、室町時代に再建された十三重塔(重要文化財)を中心に、本殿、拝殿、権殿(いずれも重要文化財)等が、狭い山中に配置されています。木造の十三重塔は、日本唯一の仏教遺跡です。

<画像の説明>談山神社 左又は下  十三重塔 右又は上 総社拝殿

 ところで、藤原氏の氏寺としては興福寺、氏社としては春日大社が有名です。また各地に春日大社から分祀を受けた春日社が、多数所在しています。談山神社は、藤原氏の始祖藤原鎌足を祀る神社ですが、当社と春日大社の関係は、実はあまり良くなかったようで、中世には興福寺の僧兵により何度か焼き討ちにあった記録も残っているようです。

<画像の説明>談山神社 左又は下  権殿 右又は上 末社比叡神社本殿

 江戸時代、高遠藩内藤氏は、藤原鎌足を始祖としており、あわせて談山神社の信仰が厚かったようで、今も、新宿内藤町に、多武峰内藤神社が残ります。内藤氏が、春日大社の分祀では無く、多武峰神社を信仰したのは、始祖鎌足への思い入れが強かった為では無いでしょうか。

<画像の説明>左又は下  多武峰内藤神社 右又は上 高蔵寺山門

 余談ですが、千葉県木更津には、鎌足という地名が残ります。地元には、鎌足小学校といった学校名も残ります。当地高蔵寺には、鎌足信仰が今も残ります。中臣氏が、鹿島神宮の神官の出自であるとか、或いは、当寺にも、鎌足生誕伝説がのこる等は興味津々ですが、残念ながら、これらは、いずれも、伝説の域を出ない様です。

(*1)乙巳の変は、その後起った大化の改新のきっかけとなりました。
(*2)中臣鎌足が、自身の長男をなぜ遣唐僧として留学させたか、理由は不明とされています。

2023年08月01日