観心寺
観心寺の金堂は、南北朝時代の建立、入母屋造、国宝です。建築史的には、折衷様(*1)という範疇に入ります。折衷様は、和様をベースに禅宗様、大仏様の建築様式を取り入れた建築様式で、建築史を語るうえで、重要な建造物です。
当寺の場合、和様をベースに禅宗様が取り入れられています。和様では長押が使われるところを柱を貫く貫が使われる点、柱間の間斗束に二ツ斗が使われている等で、技術的、そして修飾性においても絶妙のバランスを醸しています。
<画像の説明>観心寺金堂
観心寺の本尊如意輪観音像は、平安時代初期の木像乾漆像(*2)、国宝です。現在は、秘仏で毎年4月17日・18日に御開帳されています。当寺の如意輪観音坐像は六臂像(*3)ですが、六臂像の如意輪観音としては最古とされます。片膝を立てる姿勢や腕のバランスも絶妙です。不思議な魅力があります。
当地南河内は、鎌倉時代末期から南北朝時代に、楠木正成、正行親子が活躍した土地柄です。木造建築が、戦禍に遭いやすいなかでは、当寺金堂が残った事に奇跡を感じます。また、霊宝館に残された平安時代以降の宝物(当寺の建立以来の宝物)が現在まで引き継がれていることにも奇跡を感じます。
<画像の説明>観心寺建掛塔と観心寺山門
建掛塔(たてかけのとう)は、楠木正成発願した三重塔の初層が、その死去により完成に至らず、建て掛けのまま残されたという伝説を持ちます。建立は、1502年(*)ということなので、楠木正成とは100年以上の年代差があります。ここは、伝説と理解しておきましょう。
当寺の山門外の駐車場に面して、楠木正成像が安置されます。この像は、皇居の楠木正成藏を一回り小さくした像です。皇居の像は、1891年完成、例えば顔は、高村光雲作となっています。大変良く似ていますが、左右が反対となっていますが、如何でしょうか。
<画像の説明>楠木正成像 画像左又は下 皇居像 右又は上:観心寺像
皇居の楠木正成像は、こちらから。
(*1)古来日本には和様という建築様式がありました。鎌倉時代に入って、中国より禅宗様、大仏様と呼ばれる新 しい建築様式が輸入されました。その後、和様建築も新しい建築様式の影響を受けて、構造部分、装飾部分それ ぞれに新しい様式が導入されました。それらを総称して折衷様と呼びます。
過去の扱った禅宗様、大仏様は、下記を参照ください。
(禅宗様)禅宗様建築垂木について 正福寺(東京都) 建長寺・ 円覚寺(鎌倉市)
(大仏様)大仏寺 大仏寺(甘粛省)と東大寺大仏殿
(*2)木造乾漆像は、自立する木彫像に漆を塗った像で、平安時代以降盛隆しました。一方、脱活乾漆像は、簡単 な材木を布や藁で括り芯にし、漆を塗り、形を整えた像をいいます。十分乾燥させたのち芯を抜いたため‘脱活’ と呼ばれます。脱活乾漆像は、大量の漆を必要とし、また、完成までに長時間必要としたため、大変高価となり ましたが、奈良時代に盛隆しました。
(*3)臂は、腕の事。六臂像は、腕が六つある像。
(*4)楠木正成は、1336年湊川の戦いで戦死しました。