妙心寺 特に退蔵院

 妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山です。創建は、南北朝時代(1342年頃)、開基は花園上皇とされます。当初は、公家系統の寺領荘園の年貢に依っていましたが、大内義弘の乱(1399年)において、大内義弘と当寺の関係を足利義満に疑われて衰退、その後、復興に努めましたが、結局応仁の乱の兵火により、灰塵に帰したとされます。
その後、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、豊臣・徳川配下の大名が、伽藍の造営や塔頭の開創に努め、江戸時代には、寺領491石、最盛期には83もの塔頭を擁しました。
現在寺内には、46の塔頭があり、石畳で結ばれた一つの寺町を形成しています。寺域は、嵐電北野線妙心寺駅よりJR花園駅に渡って大きく広がります。寺域全体の維持管理は、各塔頭の持ち回りで行われているそうです。

 伽藍は南北一直線上に、JR花園駅側から、勅使門・山門・仏殿・法堂(はっとう)・寝堂・大方丈・小方丈・庫裏とならび、これらは、禅宗寺院の典型的な伽藍配置となっています。いずれも、国の重要文化財に指定されています。

 

<画像の説明>妙心寺境内全景と法堂

 多くの塔頭の中、退蔵院は1404年(応永11年)建立の当寺屈指の古刹です。当院の方丈(本堂)は慶長7年(1602年)の建立(注1)で、袴腰の大玄関とともに国の重要文化財に指定されています。

 この方丈にあるとされる(注2)寺宝の「瓢鮎図(ひょうねんず)」は、我が国の水墨画の祖とされる大巧如拙の筆で、室町時代の代表作と言われる貴重な作品です。小さな瓢箪(ひょうたん)で、大きな鯰(なまず)をいかに捕えるかという公案(禅における修行のための問題)ですが、私には何の事か説明できません。

 「元信の庭」は、室町後期の画家、狩野元信(1476~1559年)が作庭した枯山水庭園です。庭の背景の常緑樹と白砂・石組みの組合せが一年中変わらぬ「不変の美」を追求したと言われています。

<画像の紹介>妙心寺 退蔵院

(注1)当院の再建は1597年です。

(注2)堂内は通常非公開です。当院のパンフレットによりますと、「瓢鮎図」(国宝・模本)との説明書きがあります。本物の国宝は、京都国立博物館に寄託(所有権は譲らず、管理を委託する事)しています。この方丈には、模本のみがあるというですが、模本も非公開の様です。

2023年06月01日