三渓園旧東慶寺仏殿
東慶寺仏殿は、平成6年4月に、3年半に及ぶ保存修理工事が完了して内部が記念公開されました。今回はその際の結果に基づいています。(残念ながら内部の写真撮影は禁止されていました。)
東慶寺は、開基は北条貞時、開山は北条時宗夫人の覚山志道尼、鎌倉尼五山のひとつとされていました。また、江戸時代には駆け込み寺として有名でした。当仏殿は、原三渓により明治40年(1907)鎌倉より三渓園へ移築されました。これは、原三渓が当寺の衰退を憂いたためだったそうです。
当仏殿は、三間四方裳階(もこし)付、寄棟造の禅宗様建築です。屋根は、茅葺(かやぶき)、裳階の屋根は杮葺き(こけらぶき)、正面中央の桟唐戸、瓦の四半敷きの床等小さいながらも禅宗様の特徴を数々備えています。ただ、内陣の天井は、鏡天井では無く、格天井です。現在、国指定の重要文化財です。

画像の説明:旧東慶寺仏殿 全景と四半敷き
寺伝によりますと、弘安8年(1285)北条貞時が堂塔を建立、本堂もこの時のものとされ、その後、時代が下り、寛永11年(1634)に駿河大納言(徳川忠長)の寄進によってこの堂を修補したと伝えられています。
(仏殿の建築手法上は室町建築ではないかと考えられたものの、建立年代に関しては、不明とされていました。)
今回の保存修理工事で、建立時期に関しても詳細な調査がされました。以下は、その際配布されたパンフレット「修理工事の記録」をベースに記載させて戴きました。
・釘跡調査:「すべての部材」に「2回」釘を打った痕跡が確認されました。1回目は、創建時、2回目は、明治移築時の釘の跡と考えられました。
・質の高い材料と普通の材料が使われている。これは、駿河大納言の御殿の材料をリサイクルして使用したことが推察されます。(これらの材料は、「C14年代測定法」により年代確定に使用された旨も記載されており、時代的な矛盾はありません。)

画像の説明:左又は下:旧東慶寺桟唐戸 右又は上:旧天瑞寺寿塔覆堂
これらにより、大掛かりの工事は過去2回だけ(江戸時代と明治時代)で、寛永11年に駿河大納言の新材を補って鎌倉で新築した建物であることが明らかになっています。
三渓園には、その他多くの重要文化財指定の建築物が移築されています。そのなかから、2つほどを紹介されています。

画像の説明:左又は下:聴秋閣 右又は上:燈明寺三重塔
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