円成寺(奈良市)

 円成寺は、山号は忍辱山(にんにくせん)、柳生街道沿いに位置します。奈良時代創建の縁起を伝えますが、伝承の域を出ないものの様です。当寺を有名にしているのは、国宝の「木造大日如来坐像」です。この像は、その像容が秀逸なことはもちろんですが、残された銘により運慶作が確実なことで、その後の運慶の活躍ともあいまって、仏像史上最も貴重な作品の一つと考えられています。

 本作が運慶の作と判明したのは、大正10年(1921)に修理した際、台座蓮華の天板裏側に、運慶の名前を含む墨署銘が確認されたからです。その中には、


 -安元元年(1175)11月24日に仕事を受けて製作を開始
 -安元2年(1176)10月19日に納品
 -報酬は上品(上等な)八丈絹43疋(ひき)(*1)
 -自身(運慶)は、大仏師康慶の実子であり、弟子である
ことが、明記されています。

 これは、仏師が自身の名前(この場合は「運慶」名)をその作品に書き留めた、恐らくわが国で最初の例です。運慶の生年は不明ですが、安元年間には、20歳代だったと推定されています。(自身は未だ若いが)奈良仏師康慶の実子であり、弟子として、十分な研鑽を積んできました。(初めて直接)クライアントより十分な報酬も戴けたし、1年近くかけて納得のできる作品を完成させました、と言ったところでしょうか。

画像の説明:大日如来像は、元は、多宝塔の本尊として祀られていましたが、現在は、受付裏の相応殿に祀られています。本物は撮影禁止です。多宝塔では、ガラス越しに模刻像が祀られています。


画像の説明:左又は下: 円成寺多宝塔 右又は上:円成寺本堂

 尚、運慶の最晩年の作品は、建保4年(1216)の大威徳明王像(称名寺光明院所蔵、金沢文庫保管)と考えられています。こちらは、内刳りの像内に納入された包み紙より明らかになっています。運慶は、40年以上にわたって、一流の仏像を作成し続けました。
➡大威徳明王(ウェブ内ジャンプ)

一点像容に関して申しておきますと、当像は、この時代、最新の技術だった玉眼(*2)が使われています。以降の運慶は、玉眼を如来、菩薩等位の高い仏様には使わず、1ランク下の不動明王、毘沙門天等に限っています(*3)。運慶作で玉眼を採用した唯一の如来と考えられています。



画像の説明:左又は下:春日堂(左)と白山堂(右)(いずれも国宝) 右又は上:宇賀神本殿(重文)

 その他、当寺には、歴史的建造物が多く残ります。
 春日堂、白山堂は、13世紀の建造物で国宝です。規模は、小さいが春日造社殿の特徴を細部まで備えます(*4)。その他、楼門、本堂、宇賀神本殿は、現存の重要文化財です。

(*1)12世紀当時、30から40疋が、平安京における宅地の最小単位に相当するとのことですので、「上品八丈絹43疋」の相場観として、平安京内の小さな家1軒分の土地に相当する程度ではないでしょうか。

(*2)仏像の眼の部分に穴をあけ、その内側から裏に瞳を描いた水晶板を当てて、リアルさを表現する技法

(*3)次に運慶の歴史に残る作品は、文治2年(1186)の願成就院の諸像(1186年)となります。以降、如来、菩薩には、彫眼を使用しています。➡願成就院(ウェブ内ジャンプ)

(*4)春日造りは、一般に一間社(間は柱間のこと)です。妻入で前方にだけ、1間の庇がつきますので、入母屋の様にみえます。➡春日大社(ウェブ内ジャンプ)

2024年07月01日