千本釈迦堂(京都市)

 千本釈迦堂は、正式には大法恩寺といいます。千本釈迦堂の千本は、京都市内を南北に走る千本通りの事ですが、当寺が千本通りの近くにあるので、そう呼ばれています。千本通りは、平安時代、当時の朱雀大路でした。千本釈迦堂の位置を平安時代の地図と重ねてみると、大内裏のど真ん中に位置します。千本通り近辺には、それらのモニュメントが残ります。
 当寺は、承久2年(1220)開創以来、数々の戦乱を潜り抜けてきました。とくに、応仁の乱では、すぐ近くに、西軍の中心人物山名宗全の陣(西陣)がありましたが、当寺本堂だけは奇跡的に残りました。本堂は、京都市内では、最も古い木造建造物で国宝に指定されています。

画像の説明:千本釈迦堂本堂

 千本釈迦堂の開創は、義空という天台僧です。釈迦如来を本尊としますが、脇侍は、文殊菩薩と弥勒菩薩(*1)です。これは、義空の信仰、法華経に基づいているそうです。
 本堂は、内々陣、内陣、外陣に分かれています。外陣は、人々が礼拝する場所です。現在でも参拝者は外陣に入ることができ、内陣を拝ませて戴けます。内々陣は、暗くて良く分かりませんが、内陣中央の四天柱で取り囲まれた須弥壇には、本尊を安置する厨子があります。

画像の説明:左又は下 千本釈迦堂入り口 右又は上 千本釈迦堂本堂軒下

 奈良時代、仏様の安置する場所を金堂と言いました。金堂の場合礼拝する場所は屋外で、本堂と金堂の違いは、礼拝場所が屋内にあるのが本堂、外部にあるのが金堂と大雑把には考えて良いと思います。鎌倉時代以降金堂は無くなり、本堂が一般的になりました。また、それまでの金堂を本堂に改築する(礼拝場所を屋内に作る)試みも様々ありました。(*2)

 千本釈迦堂の場合は、開僧義空の構想に基づいて、一つの建物として創建されています。本堂(釈迦堂)は、古代建築を脱却して、中世の密教建築へ発展していく導入建築として重要です。

 外陣、内陣、内々陣は、それぞれ独立した空間で、天井はそれぞれ特徴があります。内々陣は、折上組入天井、内陣は小組格天井、外陣は半分は小組格天井、半分が、化粧屋根裏となります。(*3)周囲に化粧屋根裏の庇を巡らせつつ、大虹梁によって豪壮で格式高い大空間の礼堂をつくりだしています。外陣は、この大虹梁を掛けることにより二間分の空間を確保しています。

画像の説明:左又は下 平安宮大極殿跡
      右又は上 平安宮朝堂院跡石碑
      (いずれも千本今出川交差点近辺)

 

(*1)一般には、釈迦如来の脇侍は、文殊菩薩と普賢菩薩となります。
(*2)金堂を本堂に改築する方法
孫庇堂:庇を延ばして礼堂とする孫庇堂のケース (例) 當麻寺本堂(曼荼羅堂)
双堂(ならびどう):金堂と礼堂の間に屋根を付加して一続きとするケース (例)東大寺三月堂

画像の説明:左又は下 東大寺三月堂
      右又は上 當麻寺本堂(曼荼羅堂)

(*3)建築用語の説明
折上:壁面から直接水平にならないで、斜め又は曲面で持ち上げられて、それから水平に移る天井。
格天井:棹縁にあたる材が直交して、格子組型に組まれた天井。格間が相当広いものを言います。
棹縁(さおふち):薄い板を羽重ねに並べて、これを棹縁という細長い材で持たせた形式。
組入天井:格間が狭い、一面に一様な格子が組まれた天井。
小組格天井:格間に格子状に小組を入れた天井。

2024年06月01日